研究・報告

名護市長選―基地建設と住民の希望

PDFはこちら

 

復帰五〇年の今年は沖縄にとって選挙イヤーでもある。その「初戦」であった名護市長選挙で「オール沖縄」の推した候補が敗北。「本土から意思を奪われた年」とさせないために何ができるのか。

「ぶっちゃけ聞きます。洋平さんが市長になったら、基地は止まるんですか!?」
若者が岸本洋平氏に質問をぶつけ、会場は静まりかえった。岸本氏は一月二三日に行なわれた名護市長選挙で辺野古基地建設反対を掲げて闘った市長候補である。
昨年一二月、私が代表を務めるシンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」で、氏をゲストに若い世代向けのワークショップを名護市内で開催した。冒頭に岸本氏からの政策紹介などのトークがあり、その後、グループに分かれてディスカッションが行なわれた。その後の各グループ発表で、ある若者から飛び出したのが冒頭の発言である。
この叫びへの答えが、名護市長選挙の結果であったと私は思う。

選挙候補者としての一〇〇点の回答は、「止めます。皆の力で止めなければならないし、そのために私は全力を尽くします」というものだろう。だが、「反対の県知事が当選しても県民投票で意思を示しても工事は続くのに、市長が変わったところで止めるのは難しい」という感覚を、誰もが持っている。

■金で煽る選挙の歴史

今回の名護市長選挙は、自公の推薦を受けた現職の渡具知武豊(とぐちたけとよ)氏と基地建設反対の「オール沖縄」が推す前名護市議の岸本洋平氏の一騎打ちであった。

渡具知氏は、四年前の前回市長選から現在まで基地建設への賛否を明確にせず、今回もその立場で選挙に臨んだ。
新人の岸本氏は、故岸本建男元市長の息子である。元市長(任期一九九八~二〇〇六年)は、「苦渋の決断」として七つの条件を付けて辺野古移設を受け入れ、市長退任の四九日後、六二歳の若さで他界している。今回候補者となった子の洋平氏には、父の地盤である保守層からも支持を獲得できるのでは、との期待が寄せられていた。

二〇一〇年から二〇一八年まで、名護市では基地建設に反対の立場を貫いた稲嶺進市政が続いた。しかし、二〇一八年の前回選挙で、稲嶺氏を破り渡具知氏が市長に当選(二万〇三八九票対一万六九三一票)。この時も基地反対の稲嶺氏と渡具知氏との一対一の闘いであったが、本土自民党から小泉進次郎氏を始め有名政治家が次々応援に入り、「与党系が勝てば地元経済は良くなる」と煽った。告示約一週間前、政府は突然、基地反対の稲嶺市長で交付を止めていた米軍再編交付金について「反対ではない」渡具知氏が当選すれば交付できると表明(実際に当選の翌月には交付が決まった)。振り返れば、もう一つ前の二〇一四年の市長選挙では、自民党幹事長だった石破茂氏が「五〇〇億円規模の基金を立ち上げる」と表明し、札束で有権者のを殴るのか、と強く批判されたこともあった。

■五〇〇〇票差の理由

今回の選挙では、茂木自民幹事長、菅元首相などが現地入りをしたものの直前期はコロナが急拡大し、前回ほどの来援は見られなかった。選挙戦略の中心に期日前投票が据えられ、業界団体が従業員や住民を期日前投票へと誘導し、票をとりまとめる光景が続いた。前回も今回も、期日前投票は四割超に達している(昨年一〇月衆院選の期日前投票率は全国で約一六%)。

選挙結果は渡具知氏一万九五二四票、岸本氏一万四四三九票であり、五〇〇〇票の大差での岸本氏の敗北となった。投票率は六八・三二%。前回を八・六ポイントも下回り、過去最低の投票率だった。
当選後も渡具知氏は、「心情的に反対が多いのは分かる」、としながら、「具体策を示さず『止める』と、精神論だけ言ってもどうしようもない」と述べ、基地建設の住民への影響にも言及しないとの立場を崩さない。

岸本候補の選挙チラシには、一番目立つところに「保育料・給食費・子ども医療費はこれからも無料!」と記載されていた(傍点筆者)。「三点セット」といわれた保育料・給食費の無償化と子ども医療費の無償化の範囲拡大は渡具知市長が一期目に実現した政策である。通常ならば選挙で、対立候補が実現した政策をチラシの目立つところに書くなどということはあり得ない。

だがこれは、基地反対の市長になると米軍再編交付金が国から支給されなくなり、三点セットの継続が不可能になるのでは、と心配する市民に対するアピールである。岸本氏は「私が市長でも、交付金以外から財源を捻出して三点セットは維持します!」と訴えざるを得なかったのである。実際、その財源の不明確さが敗北の大きな一因と報じられている。

他にも理由はあれど、「基地に賛成ではないが、反対の市長でも基地は止まらない。であれば、生活が楽になるほうを選びたい」。そんな気持ちが五〇〇〇票の差となって表れた。名護市を選挙区とする屋良朝博前衆議院議員は「なぜ名護は、経済か基地問題の解決か、二者択一を迫られなければならないのか」と憤る。

名護市が玄関口となる沖縄本島北部のやんばるの森は昨年、世界自然遺産に指定された。しかし、基地建設が仮に完了すれば、名護市街にも世界遺産の森にも米軍のオスプレイが騒音をまき散らして飛びまわるだろう。事故も起きるかもしれない。

「基地を受け入れなければ支給はしない。基地を受け入れなくても基地は作る」。これを決めたのは日本政府であり、本土である。かつて翁長雄志県知事が述べた「誇りある豊かさ」は名護市民には認められていない。

五〇〇〇票差の背景には、無償化三点セット、どうせ工事は止まらないという諦念、生活の安定重視といった要素に加え、沖縄戦や米軍占領はおろか一九九五年の少女暴行事件でも同時代的に体験したのが四〇代以上となり、若い世代に戦後沖縄の記憶が引き継がれていないことなども指摘されている。

それでも、名護の人々が基地建設に賛成しているわけではない。選挙一週間前の琉球新報の世論調査でも「反対」は六二・一%で「容認」の倍であった。そもそも「容認」も「仕方がない」との選択であり「賛成」ではない。

■名護や沖縄の犠牲の下に

名護市長選挙と同日に行なわれた南城市長選でも、「オール沖縄」の推す現職候補が敗北した。これまで革新から保守層まで幅広い県民の世論を糾合し、県知事選挙などで大きな成果を出してきた「オール沖縄」の「退潮」と報じるマスメディアも少なくない。この結果を見て、基地建設反対の本土の人は、「どうして反対派が負けたんだろう」「オール沖縄、負け続けているけど大丈夫だろうか」と残念な気持ちになったことと思う。

名護市は県都那覇から離れた本島北部の六万人の小さな市である。冒頭で紹介したワークショップでは、名護市東部の大浦湾近くに住む若者から、自宅に農業用水しか来ていないので飲み水の水道を引いてほしいとの声が上がっていた。バスがなくて足がないとの高校生の声も切実だった。当然ながら市政の課題は基地問題だけではなく、名護市長にはそうした市民の声に応える責務が、他の市町村の首長と同様に存在する。

しかし、辺野古基地問題を抱えるがゆえに、その市長選には日本全国から、さらには米国からも強い関心が寄せられる。本土で名護市長選挙に関心を持つ市民は、名護市の公共交通の充実や水道普及率に関心を持っているわけではない。

名護では基地容認と反対で集落が分断されて話もまともにできない状況が二〇年以上続く。どれだけ反対しても日本政府は容赦なく工事を続け、美しいエメラルドグリーンの海は目の前で埋め立てられていく。基地を受け入れれば多額の米軍再編交付金が入る。この状況で、反対を掲げながら二五年過ごすことだけでも大変なことである。

政府は基地建設を粛々と進め、沖縄に諦めさせようとしている。しかし、我々本土の人間には、「自分事として(玉城デニー知事)」この問題に向かい合うべき理由がある。沖縄の圧倒的反対にもかかわらず沖縄に基地が建設されているのは本土が押しつけているからであり、また、沖縄の人々に諦めさせようとしているのも本土だからである。

もちろん、沖縄の人々を応援しながら、その声を聞きながら、は基本姿勢である。しかし、名護や沖縄の負担に甘え続けるのではない形で、自分事として基地建設を止めなければならない。

■復帰五〇年の選挙イヤー

今年は沖縄の選挙イヤーである。参院選(七月)、沖縄県知事選(九月頃)、宜野湾市長選(九月頃)、那覇市長選(一一月頃)など重要な選挙が続く。

この二月三日で基地建設現場での反対の座り込みは連続六五〇〇日(一七・八年)になった。トラックを数時間阻止して埋め立ての土砂搬入を遅らせ、カヌーで海上の作業を遅らせる。時に命がけの戦いで、一九九六年に浮上した辺野古の基地建設は、二五年経った今でも埋め立て予定の八%しか進んでいない。沖縄はずっと敗北しているかにみえるが、これは沖縄の一日一日の戦いの勝利の結果である。埋め立て海域の軟弱地盤による工事難航も相まって、基地完成は早くても二〇三〇年代半ば以降と言われる。そもそも、軍事的観点から見ても辺野古に基地は必要ないのである(新外交イニシアティブ提言「今こそ辺野古に代わる選択を」参照)。

しかし、コロナ禍のひどい沖縄では、反対運動に人が集まることができなくなっている。辺野古の浜やキャンプシュワブのゲート前の座り込みで見られた活況も、現在は様変わりしている。全国からのカンパの激減も影響し、活動は縮小を余儀なくされている。

もっとも、名護市長選の結果にかかわらず、沖縄県民の約七割は基地建設反対であり、デニー知事の支持率も七割を維持している。沖縄を応援し、沖縄の人々と共に動きつつも、本土側の責務は、工事を強行する政権を交代させること、それが困難でも政権に工事の継続を思いとどまらせるだけの世論と取り組みを作り出すことである。

復帰五〇年が「本土から意思を奪われた年」と沖縄に記憶されないよう、この選挙イヤーに本土の私たちは自らの責務を果たしていかねばならない。

(さるた・さよ 新外交イニシアティブ(ND)代表・弁護士)

2022年3月号_世界

猿田佐世(新外交イニシアティブ(ND)代表/弁護士(日本・ニューヨーク州))

沖縄の米軍基地問題について米議会等で自らロビーイングを行う他、日本の国会議員や地方公共団体等の訪米行動を実施。研究課題は日本外交。基地、原発、日米安保体制、TPP等、日米間の各外交テーマに加え、日米外交の「システム」や「意思決定過程」に特に焦点を当てる。著書に、『自発的対米従属 知られざる「ワシントン拡声器」』(角川新書)、『新しい日米外交を切り拓く 沖縄・安保・原発・TPP、多様な声をワシントンへ』(集英社)、『辺野古問題をどう解決するか-新基地をつくらせないための提言』(共著、岩波書店)、『虚像の抑止力』(共著、新外交イニシアティブ編・旬報社)など。