ドイツ連邦議会議員、社会民主党(SPD)
ニーナ・シェアー(Nina Scheer)
第一部:ドイツにおける脱原発
西ドイツでは1970年代に、原子力発電という危険なテクノロジー利用に一貫して反対する市民運動が活発となり、運動同士の国際的なネットワークも生まれた。一方東ドイツでは、公然と原発に反対する活動は西ドイツ以上にきびしく弾圧されたが、建設が予定されていた20基のうち、実際に建設にまで至った原発は2基にとどまった。その2基も、1990年代には、安全性を理由に稼働停止、廃炉に追い込まれた。
ドイツの再処理工場:カールスルーエ、ユーリッヒ、ヴァッカースドルフ
西ドイツ内には、いくつもの再処理工場が計画されたが、大規模な核物質再処理作業の実施には至らなかった。まずカールスルーエに試験プラントが建設され、1971年から1990年まで稼働し、合計200トンの核燃料が再処理された。続いて1983年、ユーリッヒに13年という時間をかけて再処理工場が作られたものの、設計ミスが原因で、本格的に稼働されることのないまま終わった。さらに、まずヘッセン州フォルクマーセンに計画され、その後同州フランケンベルク・ヴァンガーシャウゼンに予定地を変更し建設が進められるはずだった施設も、抗議の声の強まりと、州議会選挙の結果を受けて1982年に撤回された。1985年には、バイエルン州政府がヴァッカースドルフに大規模な再処理工場の建設を開始するが、激しい反対運動に直面した上、1986年にはチェルノブイリ原発事故という核惨事が起きたため、1989年に計画は断念された。こうして、1990年の再統一とともに、ドイツの再処理計画は終わりを迎えた。
脱原発(2000年)から稼働期間延長(2010年)を経て再び脱原発(2011年)に戻るまで
それから10年後の2000年6月、ゲアハルト・シュレーダーを首相とするドイツ初の社会民主党・緑の党連立政権は、原子力エネルギーに決別する脱原発政策を決定した。エネルギー事業者との合意、原子力法の改正が、この政策を確固たるものにした。しかし、2009年に政権が交代し、アンゲラ・メルケル首相率いる保守・自由主義政党の連立政権となると、2010年には原子力発電所の稼働期間を8年から14年延長するという決定がなされた。
しかし、ドイツの原子力開発史にとっても福島の事故が転換点となった。2011年3月11日の福島原子力発電所における事故から数日後、ドイツ政府は8基の原発の一時停止を決める。最も古い7基を即時停止し、ちょうど技術的な問題から運転停止していたクリュメル原子力発電所については運転の再開はしないとした。こうして、福島の惨事に促されるようにして、ドイツ政府は2011年6月、2022年までの脱原発という政策に再び舵を切ったのである。ところが、原発を動かしてきた電力会社数社が、この決定を財産権没収に準ずる行為であり投資保護に反するものとして、国際仲裁裁判所に訴えると同時に、ドイツ連邦憲法裁判所にも異議申立てを行なった。その結果、憲法裁判所は2016年、電力会社に損害賠償請求権を認め、2021年3月には、連邦政府が電力会社に24億ユーロの補償金を支払うことで両者が合意し、脱原発に関連するすべての法的争いが決着した。憲法裁判所の見解によれば、脱原発政策という立法措置自体は合憲であるものの、暫定的稼働期間延長後に再び決定された再度の脱原発路線の進め方が問題とされ、補償金支払いが命じられることになった。
2022年運転停止、未解決の核廃棄物最終処分、直近の議論
計画通りにいけば、2022年にはすべての原発が運転を停止することになっている。しかし、脱原発後も、核廃棄物最終処分場問題は未解決のままだ。
2017年に改正された処分地制定法によれば、2031年までに高レベル放射性廃棄物の地下最終処分場を選定することになっている。これまでの経過を「白紙」に戻し、ドイツ中を対象に地質調査を一からやり直す計画だ。調査第一段階後、国土の約半分が処分地として不適当とされ、今後の調査対象から外された。次の段階で、それ以外の地域をさらなる基準に基づいて精査し、絞り込んでいくことになる。
処分地制定法は、この60年間の原子力利用により生み出された放射性廃棄物を、今後100万年間、安全に保管しなければならないとしている。こうして、原子力利用が終わりを迎えた後も、未来の3万世代がツケを払わされることになる。
最終処分の費用をまかなうために公的基金が設置され、原発事業者である電力会社は約240億ユーロを負担することになっている。この支払を果たせば、電力会社は廃棄物の中間貯蔵・最終処分に関しては、一切の法的義務を免除される。(訳注:電力会社が実施責任を逃れたのに伴い)中間所蔵・最終処分それぞれの事業を担う会社が設立された。
ドイツ連邦議会で、原子力を再び利用するよう主張しているのは、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)のみである。その他の政党と議会内会派、また広範な世論は、原発に反対している。しかし、アレンスバッハ研究所の世論調査によると、脱原発に賛成する人は2012年には73%だったのが、2021年には56%と減少傾向にある。
原子力をめぐる新たな動きは、ヨーロッパ全体を巻き込むものとなっている。フランスなどいくつかのEU加盟国と、ウルスラ・フォン・デア・ライエンが委員長を務めるEU委員会は、EUタクソノミーにおいて、原子力を「クリーン」なエネルギー源として位置付けるよう提案した。ドイツ、ルクセンブルク、ポルトガル、デンマーク、オーストリアは、共同声明を出してその提案に反対している。
これを見ると、各国における原子力の電力に占める割合(フランスは70%以上)と、そこからくる原子力への依存度の関連性に目を向けることが重要だと思われる。また、原子力を推進する国の多くは、核兵器を保有しているか、少なくとも軍事利用技術を他国に供給している。
この数十年間、工業発展国としてのドイツは原子力なしには電力供給を確保することができないだろうと言われてきたが、今現在もドイツは実質的な電力輸出国であり、強い産業基盤を維持し続けている。また、電力の70%を今も原子力に頼るフランスよりも、ドイツの停電時間のほうが少ない(ドイツでは年間10分なのに対しフランスは49分)。小規模な発電システムのほうが諸々の負荷に耐えやすいことが明らかになりつつある。原子力に固執すると、再生可能エネルギーだけで電力を生産するシステムへの転換はさらに困難になるだろう。
ドイツ脱原発の教訓
ドイツの原子力利用開発から明らかになったことが3点ある。
1.原子力が経済効率のいいエネルギー源であったことはかつてなく、常に政治的動機が背後にあるプロジェクトだった。初期の開発は軍事利用に端を発するものであったため、原発を動かすのに必要な膨大な費用と、必ずついてまわる補助金があたかも存在しないかのように思い込まされてきた。こうした費用は、ここ数十年の間に、施設における事故や安全要件の厳格化などにより、さらに増え続けている。原子力損害賠償保険に法定上定められた上限があるだけでも、原発の電力料金の現実的な価格設定を妨げるのに十分だが、そればかりか実は様々な隠れた補助金が存在しているのである。原発の発電費用はこれからも増え続ける一方、再生可能エネルギーのコストは下がっていく。原子力は不経済であり、廃止の方向に向かっていくのは時代の流れだろう。
2.プロセスの透明性と市民社会こそが、原子力に反対する声を民主的多数派とし、将来の方向性について自ら決断をくだすことを可能にする。
3.脱原発はエネルギー供給を危険にさらすことなく実現可能だが、政治的法的に首尾一貫したやり方で進める必要がある。稼働期間延長、その後再び脱原発といった政策の揺れ動きは、ビジネス計画の確実性を弱め、政府による補償金の支払いを余儀なくされた。また、市民が政策決定を理解することを困難にし、再生可能エネルギーへの転換を遅らせることにもなる。
第二部:再生可能エネルギーへの転換
ドイツのエネルギー転換の核心は、原子力からの方向転換や計画中の脱石炭にあるのではなく、効率がよく、環境に負荷をかけない、そして安価なオルタナティブ、すなわち再生可能エネルギーを推進することにある。政策実施にあたっては、太陽光と風力発電をその根幹とし、その他の再生可能エネルギーと組み合わせながら進めている。
再生可能エネルギー法(EEG)の制定(2000年)
2000年に制定された再生可能エネルギー法(EEG)は、再生可能エネルギー源(RES)により生産された電力に対して固定価格買い取り制度を導入した。これにより初めて、再生可能エネルギーの市場進出の法的枠組みと支援メカニズムが生まれた。この制度は、再生可能エネルギーへの多くの投資、とりわけ分散型投資を可能にし、エネルギーシステムの民主化に道を拓いた。
市場における再生可能エネルギーの拡大と再生可能エネルギーのための法的枠組み
2000年の段階で、2010年には総発電量に占める再生可能エネルギーの割合を12%に増やすという目標をたてていたが、実際にはその数字を大幅に超える17%にまで伸びた。2010年にアンゲラ・メルケル首相の下で掲げられた2020年にまで30%という数値目標も、すでに2019年現在で43%にまで達している。EEG型の再生可能エネルギーに対する固定価格買い取り制度は、100か国以上に広がり、日本でも2012年に採用された。
入札制度の導入 2014年及び2017年
EEGには2004年、2009年、2012年と改正が加えられてきた。再生可能エネルギーの予想以上の成功は、従来のエネルギー事業者たちの間に、電力体制からはじき出されてしまうのではないかという不安を広げることになった。これには、再生可能エネルギーの占める割合が増える中、風力と太陽エネルギーの供給変動を考えれば、システムの前提の再構築が必須になるという背景がある。そのためには、蓄電装置や、セクターカップリングなどフレキシブルな手段の統合も必要となってくる。
「予測しやすい」システムをという声に押されて発電量調整メカニズムが取り入れられたが、これは再生可能エネルギー拡大のスピード抑制につながった。2014年の改正には、年間発電量調整や、入札制度の導入よるコントロールなどが含まれている。
この改正は、当初の再生可能エネルギー法のように、もともとの数値目標を上回る電力生産を促すようなインセンティブを設けるかわりに、事実上再生可能エネルギー拡大に上限を定める形となった。こうして、とりわけ小規模事業者のエネルギー転換への参画がむずかしくなった。しかし実は、このような小規模事業者こそが、再生エネルギー拡大に最も大きな役割を担ってきたのである。
さらに、国内のみならずヨーロッパ内においても、再生可能エネルギー開発に際しての煩雑な枠組み、法的手続きが立ちはだかっていた。それには、計画を進める上での法的問題や、鳥等の種の保存といった問題も関係している。こういった事情から、ドイツにおける陸上風力発電の認可数は、2015年から2020年の間に40%減少した。
最新の動向と新連立政権の展望
2021年9月、連邦議会選挙が実施された。新政権に加わる政党は連立協議の合意事項として、再生可能エネルギーを優先し、その拡大を進める姿勢を明確に示した。行政上の障害を取り除き、将来に向けた市場計画を整備することが、緊急の課題である。再生可能エネルギー法に則りつつも、少なくとも脱石炭実現に至るまでは、さらなる方策を考える必要がある。そしてそれは、再生可能エネルギーの加速度的拡大とセクターカップリング(たとえば電力を熱、交通につなげる)も可能にする方法でなければならない。
おそろしく時間のかかっていた風力機の認可体制の改革などは、すでに始まりつつある。エネルギー政策上最も重要なのは、近年スピードが落ちていた再生可能エネルギー拡大事業の遅れを取り戻すために、数値目標を越えるよう促すインセンティブたりうる財政援助システムの構築である。
ドイツにおけるエネルギー転換の教訓
結論として、3つの教訓をあげることができる。
1.21世紀における将来性あるエネルギー供給実現のためには、原子力と化石燃料といった従来のエネルギー源に、明確に別れを告げる必要がある。再生可能エネルギー推進が、それを支える確固たる法的枠組みの中で、投資対象として「第一の選択肢」になって初めて、エネルギー転換は可能になる。
2.再生可能エネルギーへの転換は、環境保護の観点からだけではなく、経済的な観点から見ても急務である。とりわけ日本のように、核災害の苦しみを経験する一方、発展した工業国でありながら従来のエネルギー源輸入に頼る島国にとって、100%再生可能エネルギーへの転換は、自立した、安価で、持続可能なエネルギー供給へのチャンスとなる。その実現に伴い、将来性のある市場と雇用も自ずと生まれてくる。
3.こうした再生可能エネルギーの大規模な発展を可能にするためには、成長目標値を上限とするのではなく、目標値を越えるよう促すインセンティブを示し、制度の変革、エネルギーシステムの転換につながる推進メカニズムが必要となる。大規模な産業セクターの移行にあたっては、特定の分野において大量失業が生まれないよう、細心の注意を払わなければならない。
世界的にエネルギー転換を進めていくためには、地域レベルで前例となる動きを生み出していく必要がある。そうすれば、模範とする事例に刺激を受け、世界中のいろいろな場所で似たような動きが生まれてくるだろう。
この道筋をつくり出していくことが、ドイツ、日本そして世界各地のエネルギー政策に共通する課題である。
※本報告は2021年12月18・19日に開催された「英独米中韓日6ヵ国シンポジウム〈増えるプルトニウムと六ヶ所再処理工場―核燃料サイクルの現実と東アジアの安全保障―〉」に基づいています。内容と意見は報告者個人に属し、NDの公式見解を示すものではありません。
※この企画は一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト(abt)の2021年度助成金を受けています。