トランプ大統領就任から1カ月が経過した。トランプ氏は、これまで国際社会が積み上げてきた価値観やルールを一晩で覆すような政策を次々と打ち出している。この米国の方針転換の波に日本も飲み込まれてしまうのか。シンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」代表で、弁護士(日本・ニューヨーク州)の猿田佐世さんが寄稿した。
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毎朝、目を覚ますとスマホでニュースをチェックする。日本が夜の間にトランプ政権が何をしたのか確認する。そして、驚いたり、憤ったり、あきれたり……という日々が続いている。
トランプ氏の大統領就任から1カ月、実にたくさんの大統領令が発布され、世界をたじろがせる多くの発言がなされた。打ち出された新政策は全貌が追えないほど多岐にわたる。
グリーンランドを所有し、パナマ運河の返還を主張し、米国がガザを所有してパレスチナ人を追い出す。WHO(世界保健機関)やパリ協定を脱退する。多様性・公平性・包摂性(DEI)政策の撤廃、メキシコ湾をアメリカ湾と書き換えないメディアを記者会見から追放……。遂には、ウクライナ戦争はウクライナが始めた、との発言すら飛び出した。
国連に対する辛辣な対応も枚挙にいとまがない。国連人権理事会からの離脱、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の参加見直し、イスラエルが敵視する国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への拠出金も停止した。
また、この1カ月で関税で他国を脅す戦略が前面に出ることがはっきりしてきており、コロンビアやカナダ、メキシコを個別の関税で脅した後、全ての国に対しアメリカ輸入の鉄鋼製品とアルミニウムに25%関税を課すと発表し、続けて、全ての国に対して相互関税を課すとの発表がなされ、そこでは規制や商習慣などの非関税障壁も標的とされた。
あまりの変化に現地はどうなっているのだろう、と、米国の友人たちとの密なやり取りを心掛けているが、「怒涛のトランプ砲に日本は大騒ぎだよ」と話す私をしり目に、幾人かの米国人からは「今はトランプは国内問題に集中している。国際面での政策はまだまだこれからだよ」とのこと。なんてこったい!
ご機嫌を取り続けた日米首脳会談
2月7日に行われた石破首相とトランプ大統領の日米首脳会談で、石破氏はトランプ氏を「神様から選ばれた」と絶賛。「米国を再び偉大に(Make America Great Again=MAGA)」政策を、「忘れられた人々への深い思いやり」と評する等、トランプ氏の持ち上げに徹した会談となった。
米メディアはその様子を「日本のリーダー、関税回避のためトランプに媚びる(ワシントン・ポスト)」、「トランプを口説き落とすため、ごますりを駆使(ニューヨーク・タイムズ)」などと報じている。
さらに、石破氏は、日本が過去5年連続で最大の対米投資国であると売り込み、今後、さらに日本の対米投資を150兆円(1兆ドル)レベルに引き上げたり、液化天然ガス(LNG)の購入拡大を約束したりするなど、米国の貿易赤字への強い懸念を持つトランプ氏の心をくすぐる政策を幾つも持ちかけた。
結果、かつて日米同盟破棄を口走ったともされるトランプ氏から「米国は日本の安全保障に完全に寄与」「友好国、同盟国を100%守るため、抑止力を提供」との言質を取ることに成功し、米軍の抑止力の強化や自衛隊と米軍の一体化をさらに促進するとの共同声明を勝ち取った。同盟嫌いとされるトランプ氏に対し、QUAD(日米豪印)や日米韓、日米比の「準同盟」と言われる枠組みの発展をも日米共同声明に織り込むことにも成功した。
これらの成果をもって、この日米首脳会談は「成功」との評価が日本のメディアを覆っている。
もっとも、会談3日後の2月10日には世界中の国々への鉄鋼製品・アルミニウムへの関税が表明され、同月13日には相互関税も宣言され、これらは日本も対象に含まれている。二国間会談でのメンツこそつぶされはしなかったが、実質的には日本もトランプ砲を食らっており、今後も次々と日本にも大きな影響がある政策が躊躇なく打ち出されていくだろう。
石破氏は、安倍・菅・岸田各首相とはその外交姿勢を異にしており、対米自立論者であるとされる。自民党総裁選では日米地位協定の改定も政策として掲げていた。
石破氏がそんなことはおくびにも出さずに今回の首脳会談でひたすらトランプ氏を持ち上げたのは、首相本人が言うように最初から異を唱えても無意味ということ、また、党内少数派である石破氏が米国との良好な関係を築くことで自民党右派支持層を鎮静化させたい、という思惑によるものだっただろう。また、中国外交を重視する石破政権が、中国寄りとの批判を避けるとの目的もあったと考えられる。
「日本の繁栄の基礎」を破壊
安倍元首相の例に倣い、石破氏もトランプ氏には一つたりとも苦言を伝えなかった。首脳会談に限らず、例えば、欧州の首脳が米国のガザ所有などの点について厳しく非難しているのとは対照的に、日本政府は、トランプ氏就任以降、氏の政権に批判的なメッセージは出していない。
しかし、この1カ月、トランプ政権が国際社会の在り方を根本から変えるほどの問題を振りまき続けてきた現実がある。トランプ政権は軍事力と経済力にモノを言わせて各国を米国に従わせようとしており、まさに強者の統治に出ている。この態度は、人権・民主主義・法の支配などのいわゆる「普遍的価値」や国際機関や国際規範の尊重などを標榜する戦後80年続いてきた「自由で開かれた国際秩序(Liberal International Order)」を根本から破壊するものである。
日本は戦後、安全保障の観点からも経済の観点からも、現在までの「自由で開かれた国際秩序」から巨大な利益を得て先進国の一員として発展してきた。「自由で開かれた国際秩序」は、まさに日本の繁栄の基盤であり、この破壊は日本がその発展と繁栄の礎を失うことを意味する。軍事力によるガザ掌握が肯定されるのであれば、なぜ中国の軍事力による台湾侵攻は許されないのか、ということになる。
即ち、今、トランプ政権が壊しているのは「日本繁栄の基礎」なのである。そのトランプ氏に対し、日本はただ「4年間、なんとか嵐を避けられれば」と何もせず過ごすのか。
世界では既に、トランプ氏に続いてアルゼンチンがWHOを脱退し、パリ協定の脱退も検討している。米国の方針転換は、他国にも多大な影響を及ぼす。トランプ氏の個々の政策の余波が、それぞれ津波のように世界を襲っていくだろう。
先日、トランプ政権についての講演をしたところ、質疑応答で、参加者から、「日々、超大国アメリカが自らガラガラと崩れ落ちていくのを見ている気がする」との発言があった。
そうなのである。日本だけではない。国連を創設し世界中の国を加盟させ、国際条約を張り巡らせ、自由貿易体制を推進し、米国主導で現在の国際社会はつくられてきた。そしてその国際社会の中で、現在の米国の地位が築かれ、米国の繁栄は維持されてきたのである。
世界の各地域をそれぞれみれば、米国の経済力よりも中国の経済力からより多くの恩恵を受けている国は数多い。強力な中国の軍事力の影響にさらされている国もある。それでもなお世界が米国のリーダーシップを中国のリーダーシップよりも肯定的に見る傾向にあるのは、米国が耕してきた「自由で開かれた国際秩序」における、人権や民主主義、法の支配といった「普遍的価値」に正当性を見出している人々が、世界を見ればいまだ多数派であるからである。
トランプ政権は、USAID(国際開発局)閉鎖を決定した。既に、開発途上国においては米国の援助による医薬品に頼って生活をしていた多くの人々が生命の危機に陥っている。この「USAID閉鎖」のニュースを見た瞬間、私は「世界地図が塗り替わる!」というほどの衝撃を受けた。
例えば、トランプ政権は南アフリカへの全援助を打ち切っており、これは、南アにおける人種間格差に対応するための土地改革法、そして南アがガザ攻撃についてイスラエルをICJに提訴したことを理由としているが、米国が南アへの援助を停止したその直後、中国が南アに支援を約束している。
日本はどんなメッセージを発するのか
トランプ氏が国際刑事裁判所(ICC)職員に制裁を課した際、英仏独含む加盟国79ヶ国は反対声明を出し「ICC支持」を掲げた。しかし、ICCへの最大の分担金供出国でありICC所長を出す日本はこれに加わらなかった。また、皇室典範の女性差別性を指摘した国連の女性差別撤廃委員会に対し、日本は拠出金の使用を認めないとした。
秩序破壊を非難しないばかりか、「法の支配」を自らが損なう行為を行っていては、世界秩序の崩壊の一助を担っていると言われても仕方がない。私は女性差別撤廃委員会の指摘に同意するが、仮に日本政府が同意しなくとも、拠出金を使わせないなどという手段に出るのではなく、自らの立場を堂々と主張するべきである。
首脳会談で指摘できなくとも、日本が「普遍的価値」を守るためのメッセージを発信する方法は他にも幾らでもある。
米国が引いた資金供出の一部を日本が代わりに担うのも強いメッセージ発信となるだろう。日本の誇る中東の中立外交を武器にガザ停戦を戦争終結につなげる努力をする、あるいは、日本が脈々と続けてきたパレスチナ支援を拡大して「パレスチナ人の手によるガザ復興」を全面的に支援することもできる。
今こそ、トランプ氏の激しさに眉をひそめる各国や各国の市民社会と手を取り合って、国際協調や「普遍的価値」を尊重するメッセージを日本は強く発信する先頭に立つべきである。
最後に、「Leading by example(モデルで示す=バイデン大統領の言葉)」も極めて重要であることを指摘して終わりたい。日本自身が「民主主義・人権・法の支配」が尊重される社会を発展させていくことも、日本の国際的地位を高め、国際社会に対する強いメッセージになる。