研究・報告

中国を「抑止」し、日本を「諫止」するトランプ政権の今後の「取引」(屋良朝博)

ND評議員/元沖縄タイムス論説委員

トランプ政権の日中2正面外交

尖閣諸島をめぐる米国の政策は「抑止」と「諌止(かんし=いさめて思いとどまらせること)」の合わせ技だ。中国に対しては野心を起こさせない「抑止」であり、日本には無用に騒がぬよう諌める「諌止」である。トランプ政権もその大枠を継承する方針が見えてきた。沖縄基地問題も同じように現場維持となる。

トランプ大統領と安倍晋三首相がゴルフと食事会で日米の蜜月ぶりをアピールし、両首脳が共同声明で「尖閣は日米安保適用対象」と繰り返し確約してみても結局大きな枠組みは変わらない。むしろ日米首脳会談の背後に中国の影がちらついた。

時系列で日米、米中の動きを重ねてみる。2月3日にトランプ政権のマティス国防長官が来日し、尖閣の安保条約適用を確認した。同じ日にトランプ政権で国家安全保障を担当するマイケル・フリン大統領補佐官は中国国務院で外交を統括する楊潔篪(よう・けつち)国務委員と電話会談し、米中協力強化を確認している。これは米中首脳電話会談の地ならしとなった。

トランプ大統領は8日、中国の習近平国家主席に書簡を送り、建設的な関係構築を呼びかけた。そして9日、トランプ大統領は習近平主席と電話会談し、「一つの中国」を確認した。米中が懸案を片付けた翌日の10日、安倍首相がワシントンへ飛び立った。尖閣や南シナ海の安保分野で日米協力を宣言してみても、米中間の関係修復が先に進められていたのが実情だったのではなかろうか。日本では安倍-トランプの蜜月がもてはやされているが、米中先行の印象が残った。

国際世論を横目にトランプ詣でをするリスクを払った割に、結果は従来の政策を再確認した後、ゴルフを楽しんだというだけなら、日本外交の軽さを国際社会にさらけ出したことになりはしないだろうか。

尖閣守ってくれますよね、は逆効果?

日米首脳会談で合意された共同声明をじっくり読んでみる。

前置き文の直後に、普天間飛行場の名護市辺野古移設を「唯一の解決策」との共通認識を再確認している。「両首脳は、日米両国がキャンプ・シュワブ辺野古崎地区(沖縄県名護市)及びこれに隣接する水域に普天間飛行場(同県宜野湾市)の代替施設を建設する計画にコミット(関与)していることを確認した」

声明文に挙げた項目の1番目にあるのが普天間移設問題だった。日米首脳会談では過去20年余にわたり、普天間の辺野古移設を取り上げているが、実際のところまだ実現していないので、日本は約束不履行の状態だ。米軍を受け入れるホスト国・日本の責任問題であって、米側から見れば日本の国内問題だ。民意無視で進められる辺野古埋め立て計画を、沖縄のために重視した、と言うのは気味悪い。何度も同じテーマを再確認するあたり、よっぽど話題に欠ける同盟なのだろうか。

普天間の後に尖閣問題が記述された。「両首脳は、日米安全保障条約第5条が(沖縄県の)尖閣諸島に適用されることを確認した。両首脳は、同諸島に対する日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対する」

これは従来通りの文言に止めてあり、新味はない。中国を刺激したり、慌てさせたりするようなニュースはない。それでもトランプ大統領も尖閣に対する日本の施政権を認めてくれた、ということに意義を見出すのだろうか。むしろ日米同盟の弱さを暴露することにならないだろうか。尖閣守ってくれますよね、と念押しする行為が抑止を弱めてしまわないだろうか。

尖閣に続けて、「南シナ海」について言及した。「日米両国は、威嚇、強制または力によって海洋に関する権利を主張しようとするいかなる試みにも反対する。日米両国はまた、関係国に対し、拠点の軍事化を含め、南シナ海における緊張を高め得る行動を避け、国際法に従って行動することを求める」

国際法遵守を求める相手が誰かを明記していない。中国に決まっているのだが、「関係国」とぼかしている。あくまでも憶測になるが、おそらく米中首脳の電話会談を前に激しく行われたではずの米中両国の調整で、南シナ海に関する日米共同声明の記述についても中国サイドから注文があったのではなかろうか。

今回の安倍首相の訪米を評価する上で、念頭に置きたいのは日米首脳会談の直前に電話での米中首脳会談が実現したことだ。今回の日米共同声明で尖閣や南シナ海について言及する上で当事者である中国側の意向がある程度反映されていると見るのが自然だろう。「一つの中国」の原則をトランプ政権が受け入れるなら、尖閣問題や南シナ海に関する記述が日米共同声明に盛り込まれても中国側は目をつぶる。中国を名指ししなかったところもトランプ政権の中国配慮がうかがえる。

あからさまな「米軍ファースト」

尖閣諸島の領有権問題をめぐる米国の立場は変わらない。「尖閣に対し日本が施政権を行使していることを認識しており、安保条約が適用される」。これは歴代政権の表現をそのまま踏襲しただけだ。

3日に来日したマティス国防長官が言及した「尖閣の安保適用」で政府はほっと胸をなでおろし、「駐留軍経費の負担増は求めない」でウキウキ、「普天間移設は辺野古が唯一」でガッツボーズといったリアクションが目に浮かぶ。

政府はすぐに名護市辺野古の埋め立て作業に着手した。あからさまな「米軍ファースト」。翁長雄志沖縄県知事は「甚だ遺憾。憤りでいっぱいだ」と政府を批判するが、政府の“沖縄攻め”はますます激しくなりそうだ。

マティス長官が東京でリップサービスを振りまいていたころ、フリン大統領補佐官と楊潔篪国務委員との電話交渉では、「米中関係の力強い発展」「難しい問題は慎重かつ適切に管理」「共通の利益と協力の可能性」といった言葉が交わされたという。ニューヨークタイムスによると、電話はホワイトハウス側がアレンジした。

トランプ政権も歴代政権と同じ対日、対中政策をとり始めたことが今回の動きではっきりした。中国に対しては「抑止」を効かせながら、日本には「諌止(かんし)」だ。尖閣諸島に野心など抱かないよう中国を牽制しつつ、日本には余計な動きは慎むよう諌める。同時に「関係強化」を日中双方に印象付けるのも従来通りだ。

米側の対応をわかりやすく語ったのがオバマ前大統領だった。

日中との「取引」でアメリカの一人勝ちか

2014年4月に来日した際、安倍晋三首相との会談で「日米安全保障条約に基づく日本防衛義務は絶対的なものであり、第5条は尖閣諸島を含め、日本の施政権下にある全ての領域を対象としている」と言明した。米政権トップの口から「尖閣」「防衛義務」を引き出せたとメディアは速報した。ただ、オバマ前大統領の本意は尖閣防衛だけではなく、日本を強く諌めるようなメッセージも発している。

「日米安全保障条約は、私が生まれる前に結ばれた。私が越えてはいけない一線を引いたわけではない。日米同盟に関し、これまで歴代の政権がしてきたのと同じ標準的な解釈だ。日本の施政権下にある領域は全て、条約の適用範囲ということだ。私たちは単に条約を適用しているにすぎない。」

尖閣については1952年締結の条約を読み上げたに過ぎないとオバマ大統領は語った。日本の過敏な反応が奇妙に見えたのかもしれない。続けた言葉が肝の部分だ。

「日中が対話や信頼醸成をせず事態がエスカレートするのは、大きな過ちだと安倍首相に伝えた。中国が成功し、われわれやこの地域の国々と関与し続けることを望んでいる。われわれは特定の陸地や礁の主権についてはっきりした見解は示さないが、あらゆる国が基本的な国際的手続きに従って問題を解決することを確認するという立場だ。」

米国は原則的に他国の領土問題に関与しない。尖閣をめぐる日中対決は誰の利益にもならず、むしろオバマ政権は“安倍の戦争”に引き込まれることを警戒していたといわれる。「抑止」と「諌止」のグリップをうまく効かせて、米国は仲裁役のように「難しい問題を管理」できたし、これからもその役割をはたしていくだろう。

中国には強硬派と穏健派が存在し、日米の出方によっていずれかの派閥が勢い付く。米国が尖閣防衛を意思表示することは東アジアの安定化に重要な要素だと日本は考える。だからといって日本が調子に乗って、安倍政権のように強気に出ると米国にはいい迷惑-という構図になっている。

だから「抑止」と「諌止」の両グリップを効かせて東シナ海の安全保障を管理する。そこへトランプ大統領が「取引(ディール)」を持ち込むとなれば、アメリカの一人勝ちになるのは明らかだ。中国が原則とする「一つの中国」を認めつつ、日本が原則とする「尖閣の安保適用」を確認する。日中の双方にとって米国が外交・安保・経済の要であることを、トランプ政権がどのように自国の利益最大化に使っていくか。現時点では予測できない。

ゴルフや接待の経費はトランプ大統領のポケットマネーだったらしいが、安倍首相が訪米成功の夢心地から覚めた時、高額の請求書が官邸に届くかもしれない。これまでの「抑止」と「諌止」に加えて、これから「取引=ディール」が付いてくる。

ディール対象となりにくい沖縄基地問題。現状打開に向けた政治のイニシアチブは期待できそうにない。難しい局面にあることもこれまでと変わらない。

※オバマ前大統領の来日記者会見発言は以下を参照した:データベース『世界と日本』 日本政治・国際関係データベース東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室

[文書名] オバマ大統領と安倍首相の日米首脳会談後の共同記者会見

こちらの記事は、2017年2月14日に「沖縄タイムスプラス」に掲載されています。

屋良 朝博

フィリピン大学を卒業後、沖縄タイムス社入社。
92年から基地問題担当、東京支社を経て、論説委員、社会部長などを務めた。
2006年の米軍再編を取材するため、07年から1年間、ハワイ大学内の東西センターで客員研究員として在籍。
2012年6月に退社。現在、フリーランスライター。