安保法制にTPP、沖縄基地問題。日本はアメリカからの多くの外圧にさらされている――と思われている。ところがワシントンに暮らした経験を持つ猿田弁護士によれば、その中には「日本製の外圧」も少なくないようである。自らの声をアメリカ発のように仕立てる「ワシントン拡声器」とは、いったい何か。それを操っているのは、いったい誰なのか――。
ワシントン発の圧力
日本は、アメリカからの影響に極めて弱い。アメリカがくしゃみをすれば日本が肺炎になると言われる。
例えば今年(2015年)9月、全国的な反対運動の中、安保法制が成立したが、この背景にはアメリカの存在があると言われていた。アメリカの影響力の象徴としてしばしば取り上げられるのが、いわゆるアーミテージ・ナイ報告書である。元国務副長官のリチャード・アーミテージ氏と元国防次官補のジョセフ・ナイ氏らが数次にわたって執筆したこの対日提言書は、繰り返し日本に集団的自衛権の行使容認を求めてきた。この報告書は米政府によるものではないにもかかわらず、集団的自衛権に限らず広く「日本の防衛政策の青写真」とされ、同報告書、さらには代表執筆の両氏は、総じて日米両国の政権に影響を与えていると日本で広く理解されている。
ワシントン拡声器
米国政府やアーミテージ氏やナイ氏のような「知日派」の声はもちろん、その他多くのワシントン発信の情報は日本で大きく報道される。
ところが、そうした発信の中には、日本側からの働きかけがなければ生まれなかったものがある。「ワシントン発」の影響力の大きさを知る日本の政治家や企業は、当地を訪問したり、当地のシンクタンクに資金を提供したりするなどの方法を使ってワシントン発の発信を作り出し、アメリカの影響力によって日本国内で自らの実現したい政策を実現しているのである。私はこうした仕組みを「ワシントン拡声器」と呼んでいる。
政治の街であり、覇権国の首都であることから、ワシントンにはアメリカの政策や世界各国の政策に影響を及ぼしたい人々が世界中から集まる。ワシントンがあるテーマを「問題」として取り上げれば、瞬く間に世界中がそのテーマを「問題」として取り上げるようになる。ワシントンは世界中の問題について、アジェンダ・セッティング(議題設定)能力をもち、評価を与え、また権威付けを行い、世界中にこれを拡散する。こうした特性を、自らの声の「拡声器」として使うのが、「ワシントン拡声器」だ。
日本からワシントンにテーマを持ち込み、ワシントンの力を借りて自らの声を拡声させることで日本に影響を与える場合もあるし、日本国内の特定の層の関心事がワシントンの知日派などの関心とリンクし、それがアメリカ発の声として日本に影響を与える場合もある。
「アメリカの影響力」が使用された一例
筆者は、アメリカを利用して影響力のある発信が行われる現場を数多く見てきた。昨年(14年)、集団的自衛権行使容認が閣議決定される前夜、アメリカの「知日派」の意見を引き出すために多くの国会議員が訪米したことがその一例として挙げられるだろう。
昨年5月、稲嶺進・名護市長の訪米に同行したときのことだ。ワシントンの国務省の前に日本のメディア関係者が驚くほどたくさん集まっているのを見かけた。彼らは、筆者の横にいる名護市長には見向きもしなかった。翌日、日本のメディアで河井克行自由民主党衆議院議員らの訪米の記事が掲載されているのをみつけた。
「……河井氏によると、キャンベル氏(前国務次官補)は『東アジアの安全保障環境に鑑み、日米がともに対応していると示すことが重要だ。会期末までの閣議決定が強く望ましい』と表明。アーミテージ元国務副長官は『会期末までの閣議決定を100%支持する』と語った。19日に会談したマイケル・グリーン元国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長も『会期中に閣議決定されることは重要だ』と強調したという。……」(「今国会中の閣議決定を/集団自衛権で米知日派」時事通信14年05月21日付)
私が国務省前で見たのは、「知日派」の発言を報道するための人だかりであったわけだ。訪米したのがどの議員でもメディアはかまわなかったろうが、河井議員らの訪米がなければこの記事は出なかったし、メディアが河井議員の発言を取材しなければこの記事は出なかった。
別の例も挙げよう。福島第一原発事故後、日本では原発への懸念が急速に高まった。だが3.11から半年ほどしか経っていない2011年11月、日本の財界団体である日本経団連がワシントンのシンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」と共同で報告書を出版。その中で、日本は原発を再稼働すべきだと主張した。CSISで行われた記者会見兼出版シンポジウムには、アメリカの国務次官補と駐米日本大使が出席し、大使は報告書への賛辞の言葉を述べた。
このシンポジウムには、テレビも含めワシントンにいるすべての日本メディアが出席していた。
なお、ワシントン発の情報の日本語による拡散は、日本の大手メディアによるところが大きい。情報の選択権も、それらのメディアが有している。選択された情報は瞬く間に日本中に伝わるし、選択されなかった情報は日本語読者の耳に届く可能性をほぼ失ってしまう。
ロビイストやシンクタンクを使って
拡声器効果を作り出すための重要な舞台となるのが、ワシントンのシンクタンクである。ワシントンのシンクタンクは、シンポジウムや記者会見の会場となり、日本についての報告書を作成するなど、「ワシントン拡声器」システムの中で大きな役割を担っている。「アーミテージ・ナイ報告書」もCSISの発刊である。安倍晋三首相も、訪米時にシンクタンクで講演を行っている。
2014年9月、ニューヨーク・タイムズ紙が、ワシントンのシンクタンクに外国政府が資金を投入していることを大きく報道した。その記事では、日本政府が日本貿易振興会(JETRO)を通じて10年以上にわたってCSISに資金を提供していること、この4年間についてはその総額が1億1000万円にも及ぶことなどが取り上げられていた。この資金提供により、JETRO関係者はCSISで開催される会合への参加を認められた。それらの会合には、議員や通商代表部(USTR)関係者など、アメリカの政策決定権者が数多く出席しており、会議への参加が認められたJETRO関係者はそこでこれらの人々との接触を許された。
また、CSISはアジア太平洋地域における経済統合のためのセミナーも開催しており、そこにおいてJETROのCEOは基調講演の機会を得た。
こうした動きに、日本政府が直接に雇うロビイストの活動が加わることで、さらに大きな影響力が生まれる。日本政府はエイキン・ガンプ法律事務所にTPP推進を主とした貿易関係のロビー活動を委託し、彼らのロビイングにより2013年10月には連邦議会内にTPP議員連盟が創立された。CSISにて開催されたTPP推進のシンポジウムには、TPP議連の議長2人が登壇した。さらにはCSISの研究者が議会で日本政府の意向に沿った証言を行ったそうである。
つまり、ロビイストのエイキン・ガンプ法律事務所とシンクタンクのCSISは、日本政府がワシントンにおいてTPP推進の立場を広める機会を提供し、アメリカ政府や議会に対する影響力の行使を助けたのである。
なお、エイキン・ガンプ法律事務所は13年に日本政府から7600万円の報酬を受け取っている。CSISに対しても、日本政府はJETRO以外のルートをも通じて長期にわたって資金を直接提供してきた。日本政府からは5000万円以上の直接の寄付があったとCSISのウェブサイトに書かれているが、実際の寄付金額は明らかにされていない。
こうした事実があるにもかかわらず、日本の大手メディアは、アメリカのTPP推進議員の動きについては報道しても、その背景にある日本政府からの働きかけや資金の流れについては報じない。
日本企業もシンクタンクに寄付
日本政府と経団連、そして多くの日本企業が、ワシントンのシンクタンクに資金を提供している。その全貌は明らかではないが、例えば、全米シンクタンク・ランキングで7年連続1位となったブルッキングス研究所の外交政策プログラムに、日本政府は2010年に約7000ドル、13年に約26万ドルを提供した。また航空自衛隊が12年に約1万7000ドル、13年に2万5000ドルを提供している。また、CSISと同じく主要シンクタンクの一つであるカーネギー平和国際基金などにも、日本政府から継続的に資金提供がなされている。
企業もシンクタンクに多くの寄付を行っている。例えばブルッキングス研究所への寄付者リストには日立とトヨタ、野村財団、ANA、三菱、日経新聞、笹川財団、日立ファンデーションなどが、CSISに対してはNTT、日経新聞、伊藤忠商事、京セラ、三菱、経団連、住友商事、東京海上日動火災、東芝、トヨタなどが名前を並べている。
ワシントンにおける情報の偏り
これまで述べてきたようなワシントンの構造の結果、日本とアメリカの間で共有される情報が一面的になっている。
例えば、辺野古基地建設問題についてである。民主党の鳩山由紀夫政権のころ、鳩山政権の辺野古移設反対の姿勢に対してアメリカ政府が怒っているという言説が日本では広く流布されていた。当時、ワシントンのシンクタンクでは、この問題についてのシンポジウムが頻繁に開催されていた。ワシントンに住んでいた筆者は可能な限りこれらのシンポジウムに出席したが、出席した数十ものシンポジウムのうち、辺野古基地建設に異を唱える日本人スピーカーが登壇したものは、なんと一つしかなかった。
仮にも一国の首相が移設に反対しているのに、その声を代弁する者がいないのでは、明らかに「ワシントンで語られている日本」と「日本で語られている日本」がかけ離れていることになる。
実際には、ワシントンにも辺野古移設への反対意見は存在した。アーミテージ氏が「辺野古以外の選択肢の検討が必要だ」と述べるなど、少なくないアメリカ側の識者が別の案を提案していたのだ。アメリカ側から別案が必要との声が発せられているのに、日本側が辺野古案を主張している。この構造が私には驚きであり、新鮮でもあった。
外交にも民主主義を
筆者は、ワシントン在住生活の中で知ることになった日米外交のゆがみに疑問を抱き、その後、日米の外交システムを研究するようになった。また、既存の外交パイプが全く運ばない声をワシントンに伝えたいと、アメリカ議会へのロビー活動を行い、沖縄の方々などの訪米ロビーを企画し、それに同行してきた。
これは、外交も国の政策である以上、民主主義的な要素が反映されなければならないとの思いからである。
筆者は、日本政府などが日本のプレゼンスを高めるためにワシントンで働きかけを行うことに反対するものではない。アメリカ政治に的確に日本の声を反映させることは極めて重要である。
しかし、筆者が感じる違和感は、ワシントンで語られている日本がどうも私の知る日本ではないようだという点にあった。日本国内の多様な声が反映されていないのである。ブルッキングス研究所に所属していた岩下明裕教授(北海道大学)は「日本で流布している言説と、ワシントンで日本側が仕掛けていることの間に大きな隔たりが存在していることを痛感した」と述べている。政策決定の過程でアメリカからの影響力が大きな追い風となる日本において、その風が誰によって作られているのかを国民が知らされない現状は、民主主義に反しているのではないだろうか。
日々、多くの論点について様々な意見が出され、幅広い議論の中で落ち着きどころが見いだされていく。それが日本での議論の進められ方である。もちろん国内でもそれが不十分であることも多いが、しかし、ワシントンにおける「日本」は極めて一面的であり、そこでの深い議論の欠如は深刻である。
外交という舞台では、登場人物の数が国内の議論に比べて一気に2、3ケタ以上も減り、そのわずかな人々が大変大きな声を持つことになる。対日外交の政策決定過程に影響力をもつアメリカ側の人々の数は、筆者の調査によれば5人〜30人にすぎない。これでは外交チャンネルにおける情報源は限られ、情報も容易に選別されてしまう。しかし「外交」が取り扱う問題は非常に大きく、わずかな変化が甚大な影響を与えうる。少数の人々による現在の対日外交方針の決定について、コリン・パウエル国務長官の首席補佐官であったローレンス・ウィルカソン元大佐は筆者にこう語った。「簡単かつ効率的だが、可能性ある選択肢を全て検討しながら意義ある対話やディスカッションを行うことにならず、日本やアメリカの民主主義の発展のために望ましくない」。
現在の外交においては、既存の日米チャンネルの外に存在する意見が議論の俎上に載り、具体的な選択肢として検討される機会はほとんど存在せず、沖縄や福島を含め日本の一般の人々の声がワシントンに伝わることはほとんどない。
一方で、資金力がある者の声のみが外交に強く反映されていく。企業であれ個人であれ、自らの望む方向に向けて様々に働きかけるのは「政治」の常であるが、こと日米外交となると、その圧力の創出の可否が完全に資金力の有無にかかり、そこから作り出された圧力が実際には日本製であっても、「アメリカ」のベールを被り、実の声の主がわからない状態になりながら日本社会に強烈な影響を及ぼすことになってしまう。
そしてこれら一連の対日影響力の形成は遠いワシントンで行われ、言語の違いも相まって、日本社会の側の検証や批判から逃れている。ワシントンにおける日本の政策決定過程も、日本の人々によって監視され、議論され、評価されねばならない。
何かが発表される際には必ず誰かの意図が働いている。市民もメディアも「その源は何か」を意識して外交問題を捉え、外交にも民主主義が及ぶよう監視していかねばならない。
(集英社「情報・知識&オピニオン imidas」猿田佐世「『ワシントン拡声器』とは何か-日米外交の背景」2015年12月18日)