研究・報告

安田純平さんへの自己責任論がイラク人質事件の時より悪質になった理由

【安田純平さんへの自己責任論がイラク人質事件の時より悪質になった理由】
(Aera.dot 10/30)

猿田佐世(新外交イニシアティブ代表)

ああ、やっぱり。

安田純平さんについて再び自己責任バッシングが起きている、と知った際の私の感想だ。この日本という国はいつまでたっても変わらない。それどころか、むしろ、今回、一般の人たちが恥ずかしげもなく自己責任論を口にしている雰囲気からすると、悪化してすらいる。

◆自己責任論が広まったイラク人質事件

自己責任論が最初に日本社会に強烈に広まったのは2004年のイラク人質事件の時だった。

イラクの人々の支援をしていた高遠菜穂子さんや当時高校生の今井紀明さん、ジャーナリストの郡山総一郎さんが身柄拘束された事件である。拘束グループが、当時日本がイラクに派兵していた自衛隊について、72時間以内に撤退させないと3人を殺害するとの声明を出していた。連日、新聞が何面も割いて大きく報道し、官邸前では解放を求める大きなデモが連続して行われた。

72時間の期限が迫り、小泉純一郎首相(当時)が自衛隊を撤退しないと明言したころから保守系の新聞は「自己責任である」という論調を前面に出し始め、官邸からも自己責任論を肯定する発言が出された。

私は、この時、当初は被害者家族の弁護団の、3人が解放されてからは3人の弁護団の一員だった。弁護団は、家族や3人と政府との橋渡し役だったが、それに加えての重要な仕事は、家族や3人をバッシングからできる限り護る、というものだった。あまりにひどいバッシングにただただ驚きながら、その対応に追われた。

◆メディア・スクラム

弁護団は毎朝集まって新聞各紙を比較し、その記事を吟味し、問題があれば対策をとるべく尽力した。大手全国紙が、何を血迷ったか彼らの自宅住所を掲載し、その情報拡散を避けるため裁判所に仮処分も申立てた。自宅住所が広まると命にかかわる、そんな日本社会の雰囲気であった。

当時、私は弁護団内のメディア担当であったことから、メディア用の携帯電話を急遽持つことになったが、その携帯電話は常に鳴り続けた。1週間ほどの間、連日、昼夜問わず断続的に弁護団会議を続けていたが、弁護団会議の間のわずか2時間、それも早朝4~6時に仮眠をとった間に、着信履歴が47件入っていたこともあった。

今回の安田さんの件で、私が驚いたのは、大手メディアが安田純平さんのインタビューをトルコから帰国する飛行機の中で行っていたことである。また、今回、成田空港に降りた安田さんの様子も多くのメディアが流していた。

2004年当時、3人の釈放が分かった直後、弁護団で議論をし、私はドバイの空港に電話をして、解放されたばかりで精神的に厳しい状態にあると思われる彼らがメディア・スクラムにあわないように、機内で取材を受けるなどということがないように、と調整した。3人の体調への懸念もあり、到着した羽田空港でもできる限りメディアに触れることのないように3人の動線などを弁護団は空港の担当者と調整した。この時は、日本政府がむしろ3人の姿がメディアに映りやすいように道を変更したため、弁護団から抗議も行った。実際に、空港で3人のうちの1人が倒れこんでしまった。3人は帰国直後に医師の診察を受け、フラッシュバックなどの恐れがあるため、しばらく休養した方が良いとの医師の所見もでた。

今回の安田さんの件では、メディアなどの対応は適切か。

拷問状態におかれ、3年以上もの間いつ殺されるやしれない生活においては、精神的な負担は想像を絶するものであっただろう。一見落ち着いているように見えたからといっても、いつPTSDの症状が出るかわからない。拘束されていた時の話を繰り返し質問されれば、精神状態が悪化することも大いにありうる。ひどければ希死念慮に襲われることも十分に考えられる。

誘拐・拘束された人は「被害者」である。このことを出発点に考えれば、まずは、被害者に二次被害を与えないように配慮することが需要である。事実や背景を報道するというメディアの使命については、被害者の精神的安定を待ってからでも十分果たせる。

◆帰国後のバッシングの方がつらい

2004年の時、空港で本人たちの姿が見えたとき、少なくない大手メディアが遠くから発した言葉は「お帰りなさい」「よかったですね」ではなく、謝罪を求める言葉であった。3人の帰国直後、体調を崩している本人たちに代わって家族の会見を行うこととしたが、その家族の会見でも、「謝罪はないのですか」というのが大手紙記者からの最初の質問であった。

会見できないでいる本人たちに対し、マスコミからの強い要望が続き、実際に、記者会見を開催したのが、帰国の12日後。比較的体調の落ち着いていた今井さんと郡山さん、そして弁護士による会見となった。集まったメディアの数はもう忘れてしまったが、150人以上はいたように思う。今となっては弁護士が代理人として当事者に代わって記者会見を主導することも珍しくないが、当時は弁護士が取材や会見対応をすることについてのメディア側からの反発も強くあり、「なぜ弁護士がいるんだ」との反応もあった。続いて受けたテレビ出演でも、本人に向けて、「謝罪の言葉は?」と質問がむけられた。

彼らの自宅には大量のハガキ・手紙が届いていた。「バカ」「死ね」「自作自演」「帰ってこなければよかったのに」という非難の手紙はことごとく匿名で、他方、「おかえりなさい」「ありがとう」という応援の手紙は皆、実名が記載されていた。

アメリカのパウエル国務長官(当時)の「イラクの人々のために、危険を冒して現地入りをする市民がいることを、日本は誇りに思うべきだ」との発言は、大きな支えとなった。

今井さんなどは、帰国後、知らない人に後ろから突然殴られたこともあるという。3人は、イラクでの拘束状態よりも、帰国後の日本のバッシングの方がつらいとすら口にしていた。

◆安田さんの「責任」

「可能な限りの説明をする責任があると思います。」という安田さん。しかし、まずはとことんまで療養することである。今後、安田さんは記者会見の開催などをしていくのかもしれない。しかし、急ぐ必要はない。

仮にその「説明」責任が安田さんにあるとすれば、メディアを通じてこのニュースを見ている単なる傍観者にすぎない私たちに対してではない。

それは、シリアで出会った人たち、シリアで安田さんに声を届けてほしいと言ってカメラを向けることを許してくれた人たちに対してであろう。また、拘束されている間の状況を知らせることでシリアの現状を世界に示し、以後何人ものシリア人の命を救うための「知った者の責任」であろう。さらに、拘束される過程で安田さんに安全確保についての「ミス」があったのであれば、これから後に続いて紛争取材に入る人たちへの教訓のために、それについての説明はしたほうがよいだろう。

しかし、いずれにしても、それはしっかりと静養した後のことである。それに何カ月かかろうと、私たちに「早く説明しろ」などという資格はない。

◆最高の国際貢献

紛争地で拘束され釈放されたジャーナリストは多くの国ではヒーローである。最近のフランスのケースなどでは大統領が到着した飛行機まで迎えに行って歓待し、さながら祖国凱旋といった雰囲気であった。

他国と同じように、危険を冒してまで弱者に寄り添い紛争の現場を報道する日本人がいる、それを「誇りだ」と思える日本社会でありたい。

税金泥棒という非難が多い。日本政府がどの程度の動きをしてそれにどれだけの税金が使われたのか知る由もない。しかし、安田さんがこれまで多くの紛争地の事実を伝え、そのために今回私たちの税金が使われたのであれば、最高の国際貢献ではないか。安田さんのようなジャーナリストの働きで、事実は国際社会に伝えられ、その結果に何人もの命が救われてきた。日本の地位を世界的に高めるために使われた費用であるとすらいえる。

バッシングにかかわっている人は、批判するのに使っているエネルギーを、シリアの情勢がどうなっているかを知り、状況を良くするにはどうしたらいいのか、といったことに振り向けるべきである。

今後再び安田さんが紛争取材に向かうのか、本人の全くの自由であるが、再び向かうのであれば「ありがとう」「頑張ってください」と送り出したい。

猿田佐世(新外交イニシアティブ(ND)代表/弁護士(日本・ニューヨーク州))

沖縄の米軍基地問題について米議会等で自らロビーイングを行う他、日本の国会議員や地方公共団体等の訪米行動を実施。2015年6月・2017年2月の沖縄訪米団、2012年・2014年の稲嶺進名護市長、2018年9月には枝野幸男立憲民主党代表率いる訪米団の訪米行動の企画・運営を担当。研究課題は日本外交。基地、原発、日米安保体制、TPP等、日米間の各外交テーマに加え、日米外交の「システム」や「意思決定過程」に特に焦点を当てる。著書に、『自発的対米従属 知られざる「ワシントン拡声器」』(角川新書)、『新しい日米外交を切り拓く 沖縄・安保・原発・TPP、多様な声をワシントンへ』(集英社)、『辺野古問題をどう解決するか-新基地をつくらせないための提言』(共著、岩波書店)、『虚像の抑止力』(共著、新外交イニシアティブ編・旬報社)など。