1945年に広島と長崎に原爆が投下されてから今日、核兵器は75年の間使われていない。この事実から、核兵器は相手の攻撃を思いとどまらせる手段だ、実戦で使用されることはないと結論を下す人もいるだろう。
その結論は誤りである。核兵器の使用に合理性はなくても、核兵器を使いかねないと相手に思わせることには合理性を認めることができるからだ。
それを端的に表現するのがリチャード・ニクソン元米大統領のマッドマン・セオリー、狂人理論だ。米大統領就任前のニクソンは、後に大統領補佐官となるハルデマンに向かって、ベトナム戦争を止めるためなら何でもすると北ベトナム政府に思い込ませる方法を考え、マッドマン・セオリーと命名した。ハルデマンの回顧録に出てくる有名な一節である。
念のためにいえば、ニクソンが核兵器を使おうとしていたわけではない。だが、北ベトナム政府との和平交渉が暗礁に乗り上げた69年、ニクソン政権は戦術核兵器の使用を含む大規模な攻撃を準備することによって北ベトナムから譲歩を引き出す計画を実際に立てている。たとえ核を使う意思はなくても、使いかねないと思わせて相手をひるませる方策は検討されていた。核兵器の先制使用は不合理でも先制の威嚇は合理的なのである。
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核問題について二つの著作、ダニエル・エルズバーグ『世界滅亡マシン』とウィリアム・ペリーとトム・コリーナの共著『核のボタン』の翻訳が相次いで刊行された。エルズバーグは60年代の国防総省でマクナマラ国防長官を補佐し、ペリーはクリントン政権の下で国防長官を務めたことからわかるように、どちらもアメリカの軍事戦略に直接関わった実務家である。だがエルズバーグはベトナム戦争秘密報告書、いわゆるペンタゴンペーパーズをニューヨーク・タイムズにリークした。ペリーもキッシンジャー元国務長官などと共同で核兵器のない未来を求める文章をウォールストリート・ジャーナルに寄稿したことで知られている。
軍事の実務家が、なぜアメリカの軍事戦略を批判するのだろうか。その背景には、核による威嚇を放棄しようとしないアメリカ政府への懸念がある。ペリーの言葉を使うなら「米国の核の歴史の最大の矛盾の一つは、大統領が核戦争を始める必要もそのつもりもないのに、その選択肢を捨てない」ことに他ならない。
そこから核兵器使用を主とする数々の戦略が生み出された。エルズバーグはケネディ政権の下で核の実戦使用がどのように検討されてきたのか、核戦争の計画を暴露している。さらにペリーとコリーナは米ソ冷戦終結から30年も経ちながら従来の核戦略が維持され、アメリカ政府が核兵器の先制使用を放棄してこなかったことの不合理を厳しく批判している。
核による威嚇は核戦争を引き起こす可能性を否定できない。実務家なのにではなく、実務家だったからこそ、核戦争の危険から目を背けることができないのである。
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この2冊はともに、ニクソンの狂人理論に触れたハルデマン回顧録の一節を引用している。その理由はいうまでもない。ドナルド・トランプ大統領のもとのアメリカが核先制攻撃の威嚇を試みる可能性があるからだ。いや、トランプを例外として捉えるのは誤りだろう。エルズバーグが述べるように、「トランプはトルーマン以来の歴代全大統領(中略)――ライバルのヒラリー・クリントンもその中に含まれているのは間違いない――と同じ立場を取っているにすぎない」のである。
ここで必要な選択は核軍縮、そして核の廃絶である。オバマ前大統領が求め、挫折した、核兵器先制使用の放棄はその第一歩に過ぎない。実現できない理想と一蹴される可能性の高いこの選択こそが合理的である。そういう時代に私たちは生きている。
だが、核戦略は国家機密に包まれており、事実を知ることも容易ではない。ペリーが核廃絶を訴えるのは国防長官を辞してから約10年後のことだった。ベトナム戦争の機密をリークして訴追されたエルズバーグも、ケネディ政権の核戦争計画を暴露したのは実務を離れたずっと後のことだった。
その結果として、核兵器の使用が実際に検討されている現実は国民の目から隠され続けた。他方では、核保有と核抑止のために平和がもたらされているという虚偽を現実として言いくるめるプロパガンダが繰り広げられてきた。
実務を経験した者が一般の国民よりも核戦争を恐れる状況は倒錯しているというほかはない。核軍縮の展望を開くためにも、国民の安全を左右する情報を政府に独占させず、情報公開を求め続ける必要があるだろう。
(国際政治学者)