国際政治が動乱期を迎えている。その背景は国家の力の分布の変化、単純にいえば大国の凋落(ちょうらく)と新興国の台頭である。
覇権国家の凋落が国際政治を不安定にするという議論はロバート・ギルピンを代表として古くから国際政治学で行われてきた。この議論は、覇権を掌握した国家がその国益のために世界を支配するのではなく、むしろ覇権国家の主導と負担の下に覇権国家ばかりか世界各国にとっても利益となる秩序がつくられたと考え、覇権国家がその負担に耐えることができなくなることから覇権が凋落し、新興国が台頭すると主張してきた。覇権国家とはアメリカだけではないが、アメリカが含まれていることはいうまでもない。
乱暴に現実に当てはめるなら、国際政治経済では米ドルと自由貿易を基礎として通貨・貿易秩序、軍事領域では米軍を基礎として多国間の同盟秩序がつくられていることになる。もちろんアメリカ政府がどこまで公共的な役割を果たしているのか、また米ドルや米軍を公共財と呼んでよいのかどうか、疑わしい。ギルピンのように秩序維持の支えを覇権国家のパワーに求めるか、あるいはジョン・アイケンベリーのように単独行動ではなく国際的な制度のなかで協調する覇権国家の自制に求めるのかによって、覇権と国際政治の捉え方は大きく異なる。それでも、日本を含む世界の多くの諸国がアメリカの影響力を認め、利用し、支えてきたことは否定できない。
覇権と国際関係は、戦争による覇権国の交代を中心に論じられてきた。私は覇権戦争が不可避だとも米中両国が戦争に向かっているとも考えない。だが、中国がアメリカに代わる覇権国家とならないとしても、アメリカが覇権国家としての役割から降りてしまう可能性は無視できないだろう。
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既にその変化は起こっている。WTO(世界貿易機関)ではトランプ政権が上級委員選任に反対したため任期切れの委員を充足できず、WTOによる紛争処理はできない状況にある。今月開催されたNATO(北大西洋条約機構)首脳会議は、国防費支出国内総生産比2%を求めるアメリカと他のNATO加盟国との溝を確認する結果に終わった。韓国に対しては在韓米軍撤収の可能性を示しつつ米軍駐留経費の5倍増を求めている。2021年3月に期限を迎える在日米軍経費(思いやり予算)についてもアメリカは大幅増を求めていると伝えられている。
覇権国家としての負担を削減するためには貿易体制や同盟が動揺してもかまわないかのような政策だ。いま起こっているのは、アメリカがその主導の下につくった国際制度を見直し、アメリカの利益に沿うよう各国の譲歩を求め、譲歩が得られなければ制度から撤退するという変化である。
その背景は中国の台頭であるが、米中対立だけでこの変化を理解することはできない。もし中国への対抗がトランプ政権の目的であるとすれば、米国と同盟を結び自由市場経済をとる諸国と連携を強めることが合理的選択だが、米中貿易紛争と同時にEU、韓国、日本にも圧力を加えているからだ。
同盟国や友好国に圧力を加えながら新興大国中国に対抗する。これはアメリカにとって愚かな選択ではないかと私には思われるが、そのアメリカの同盟国や友好国も、覇権国家としてのアメリカを支えるためにどこまでの負担を受け入れるのかという選択を迫られる。そして、通商政策で譲歩し、国防支出や駐留経費増を受け入れたところで友好国の希望する政策をアメリカがとる保証はどこにもない。
中国はアメリカに代わる覇権をまだ持たないが、軍事と経済で圧力を加えられるなかでアメリカに譲歩する代償は大きく、貿易合意は限定的なものにとどまり、貿易紛争が継続する。中ロ両国は軍事演習を重ねており、通常兵器の革新は進むものの核戦力の規模が劣る中国と核大国ではあるが通常兵器の老朽化したロシアが補い合う軍事ブロックが生まれるなら冷戦のような勢力配置が再現してしまう。
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さらに、技術革新の主導権を新興大国が握る恐怖が科学技術と地政学的対立を結びつける。いまでも5Gネットワークの開発競争はゼロサムゲームの様相を呈しており、冷戦時代の核軍拡競争のように技術の競争は軍事的緊張を加速することになるだろう。
そして世界経済が後退する危険がある。トランプ政権のもとのアメリカは景気後退に遭っていないが、好況と不況のサイクルは避けることができない。経済が減速する中国に加えてアメリカが不況に直面する時、覇権国家の後退と国際政治の不安定はさらに進むとしか考えられない。国際政治は、確かに、動乱期を迎えている。(国際政治学者)