猿田佐世さんから日米関係に関する政策研究と意見交換のためのネットワークをつくりたい、という話を初めて聞いたとき、私はこの提案を歓迎しました。ワシントンで政策分析・研究に携わってきた自分の経験から、2つのことを思い出したからです。
1つめの経験は1997年。当時タイから始まったアジア通貨危機により、東アジア諸国の経済は打撃を受けていました。タイ・バーツの急速な下落に対し、アメリカが迅速な対応に積極的でないなか、日本の財政当局はアジア通貨基金を創設する構想を打ち上げ、将来の金融危機に速やかに対応し、アジア地域の金融の安定を促そうとしていました。ご存じのように、このアジア通貨基金構想は完成を見るには至りませんでした。
しかし私は、アメリカ政府がこの提案を、アメリカが第二次世界大戦後につくり上げた国際金融の制度に挑戦するものとして、あまりに瞬時に否定してしまった、と感じました。私が本当に苛立ちを覚えたのは、ワシントンで開催されたアジア通貨危機の原因と解決策を話し合う多くのシンクタンクでの会合でした。アメリカのアナリストのほとんどが、彼らの言う、アジアの〝クローニー・キャピタリズム(縁故資本主義)〞がいけないのだと述べるのみで、ウォール街が推進した国際金融自由化が危機の発生に関係していることを無視していました。
ワシントンの独立系シンクタンクと言われるところの多くは、アジア地域の金融危機を招いた一因である〝ホットマネー・キャピタリズム(短期資金資本主義)〞で莫大な富を築いた組織や個人からの寄付を受けているため、ウォール街の利益の代弁者となっていることを、私ははっきりと知ったのです。
2つめの経験は、2003年にアメリカ主導で起こったイラク侵攻に関わるものです。サダム・フセインは確かに冷酷で好戦的な暴君でしたが、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は9・11のテロ攻撃の後にアメリカや全世界で起こった人々の怒りの声を利用して、アメリカと国際世論を操り、主権国家を攻撃する支持を得たのです。ワシントンの政策コミュニティの中に、ブッシュがイラク戦争へと進んでいくことに公然と疑問を呈するアナリストがほとんどいなかったのは驚きでした。ブッシュに対し「疑わしきは罰せず」とし、批判的な分析を差し控える者があまりに多かったのです。
ですが私には、日本の外交政策エリートの発言も同じくらい問題だと思われました。日米の同盟関係がいかに不健全なものだったかは、ある日本の著名な学者のコメントによく表れています。外交・安全保障政策に関する影響力のある政府審議会に数多く名を連ねた人でした。この教授は「私がアメリカ市民だったら、アメリカ主導のイラク戦争に反対する」と明言しました。しかし自分は日本人だから、アメリカを支持しなければならなかった、というわけです。
この発言はつまり、日米同盟が日本の国益にとってあまりに重要なので、アメリカが遂行する政策がたとえ誤っていても日本は支持せざるをえないということです。日本が、日米関係に十分な自信を持つことができなかったため、ブッシュ政権が戦争へ向かっていくことに対し、フランスやドイツと手を携えて反対することができなかったということは、当時アメリカ人として反戦デモに参加した私にとって悲しいことでした。
そのようなわけで、猿田さんから〝シンクタンク〞構想を聞いたとき、私は、アメリカのシンクタンクの独立性、客観性を過大視してはいけない、と言いました。日本にはアメリカのような、政府の政策を批判的に分析し、効果的な代替政策を提示できる、影響力のある独立したシンクタンクがない、と私の日本の友人の多くは、よくこぼしています。ですが私から見ると、日本人の多くはアメリカのシンクタンクに過剰によいイメージを抱いていると思います。
もちろん、アメリカのシンクタンクには非常に優秀で公平なものの見方ができる政策アナリストが大勢います。しかし同時に、シンクタンクの活動資金を調達しなければならないため、アメリカの外交政策論議を形づくる基本的な前提の一部に疑問を投げかけるような研究がやりにくくなることがあるという問題です。さらに、政府官僚になることを熱望する人や政府の役職を離れた人たちを上級研究員として広く迎え入れている点も、シンクタンクの客観性、独立性を損ないかねません。こうした上級研究員がキャリアにプラスになるかどうかを考慮して研究テーマを決めるのは理解できないことではありませんが、そのような思惑で、政治的には受け入れられないような政策案や、将来、有力な政府の役職につけなくなることにつながりかねない政策案を提言するのを控えてしまうことがありうるからです。
ですから猿田さんには、オフィス(あるいはビル一棟)を構えて、かなりの人数の研究員や事務スタッフを雇用する政策研究機関という従来型の、いかにも〝シンクタンク〞といったものではない組織とした方がいい、と言いました。こういった、よくあるシンクタンクのありかたは、どうしても固定費がかさみ、その資金をつくるために批判的な研究ができなくなりやすいのです。それで、伝統的な〝シンクタンク〞よりも、小回りが利いてコストのかからない、政策研究、論議、啓発のための〝ネットワーク〞のほうが好ましいと考えました。
この新しい〝ネットワーク〞組織の名前を提案するにあたっては、冷戦終結以来、国際関係の分野でかなりの注目を集めていた、〝新しい外交〞という概念に刺激を受けました。政府や政府間機関の活動を軸として展開しがちな〝伝統的な、あるいは、古い外交〞とは対照的に、〝新しい外交〞は、国際的な課題を取り上げ、取り組む上で、市民の役割を重視します。〝新しい外交〞は、国際関係においては国民国家とその国益が突出した役割を果たしていることを認めつつも、世界全体の共通の利益、普遍的な価値のために狭い国益を超えていく必要性、可能性を強調しています。情報技術・コミュニケーション革命によって、市民が自国内での政策論議に参加したり、国境を越えて交流したりすることが可能になりました。
外交政策形成や国際政治を長年研究してきた政治学者として、私は、外交課題がいかに複雑なものであるかをよく承知しています。この複雑さゆえに、外交や対外政策形成は、情報を集めて賢明な決定を下すために、必要な訓練を受け専門性を身につけているプロの外交官や政府官僚が担う傾向があることは理解できます。しかし、政治学のあまたの研究が明らかにしてきたとおり、政策形成の担い手は、ときに〝集団思考〞にとらわれ、批判的な考え方ができずに誤った決定をしてしまうものです。
さらに、外交官や官僚は、保身のため、上司の政策の方向性に疑問を呈するのを厭いとう可能性があります。また、リーダーは、自分たちの目先の政治的利益を優先して、地球規模の利益はもちろん、長期的な国益をも損なうかもしれません。残念なことに国際関係の歴史には、政府のエリートが推進した誤った政策のせいで起きた悲劇は数多くあります。たいていの場合、こうした誤りで苦しむのは市民や大衆です。これは言い換えると、市民は、賢明な自己の関心事として、国際的な問題に積極的に関与しなければならない、ということです。
しかしながら、一般大衆の役割を美化してはなりません。エリート政治家や官僚が国家間の悲劇をもたらしたと同様に、国民もまた、ときに排外主義や独善、思い上がりによって誤った対外政策を支持し、さらにはその推進力となってきました。ですから、国際的な市民運動が大きくなれば、市民の責任、すなわち、情報をきちんと集め、他者への共感を持ち、批判的に考える能力を培う責任もまた大きくなるのです。私が考えるに、対外政策についての公教育や市民間の議論は、対外政策に影響を及ぼすための市民運動と同じくらい、〝新しい外交〞の概念にとって重要なものです。
新しい組織の名称に〝センター〞あるいは〝研究所〞という言葉を用いる代わりに、私たちは〝イニシアティブ〞という言葉を選びました。〝センター〞とか〝研究所〞という言葉が入った名称をもつシンクタンクは数多くありますが、〝イニシアティブ〞という語のほうが、積極的な行動や活力といった感じをよく表しています。さらに、〝イニシアティブ〞は私たちが考えていたものの本質をとらえていました。
英語の辞書で〝イニシアティブ〞をひくと、一般に次のような定義が書かれています。(1)独立して物事を評価し、進んで始める能力、(2)他者に先んじて行動したり、リーダーシップをとる力や機会、(3)問題を解決したり、状況を改善することを意図した行為や戦略、です。この定義は、〝新外交イニシアティブ〞の使命の核心を正確に伝えるものです。
最後に、〝新外交イニシアティブ〞を日米関係の文脈に位置づけてみたいと思います。ここ10年、ワシントンの政策研究者のなかに日本の専門家が増えたことを、私は喜ばしく思ってきました。私がブルッキングス研究所に入った1995年、初めてワシントンを研究拠点とすることになったとき、日本や日米関係を専門とする、経験を積んだ研究者はほとんどいませんでした。21世紀に入ると、中国のめざましい発展を反映して、ワシントンに中国専門家がかなり増えました。失われた10年と呼ばれた時代には、ワシントン駐在の日本人ジャーナリストの間で、しばしば〝ジャパン・パッシング(日本素通り)〞論が語られたものです。
しかし、2006年ごろから、再び日本への関心が高まり始めます。そして、ワシントンのシンクタンクには、日本を専門とする研究者を雇い入れ、日本についての研究プロジェクトを実施するところが増えました。この新しい動きの一因は、日本研究のための新たな資金源がでてきたことでした。アメリカにおけるアジア政策についての議論のなかで、日本の存在感がどんどん小さくなり、日本が無視されている、という危機感を抱いた日本政府や民間財団、企業などが、日本に関する研究に多額の資金を提供するようになったのです。
1995年と比べて、ワシントンのシンクタンクや大学の日本専門家の数は、これまでに2〜3倍にはなっていると言えるでしょう。日本に関する政策レポートも大幅に増え、質もよくなりました。パネルディスカッションに参加したり、発表を行ったりする日本からの研究者、官僚、政治家の数も劇的に増加しました。日本のさまざまな側面についての会議や研究ミーティングも非常に頻繁に開かれるようになり、今や、あまりに増えたために、その多くに出席できないほどです。
無論これは全て、ワシントンを拠点とする、日本の政治・外交政策の研究者である私にとってはよいニュースですが、一点、残念に思っていることがあります。今では、かつてない数の、日本についての研究員、研究プロジェクトがあるにもかかわらず、日本や日米関係についての視点はあまり多元化していない、ということです。アメリカの対日政策の分析は、政府の政策という基本的な枠内にとどまりがちで、政策の基本前提のいくつかに疑問を投げかけるような分析を目にする機会はめったにありません。
ワシントンで聞く日本からの声は、ほとんどが日本政府の見解に沿ったものになる傾向があります。アメリカの外交政策におけるほかの分野同様、ワシントンの米日関係の専門家コミュニティも、単なる拡声器になってしまっています。同じ意見がさしたる批判的分析もなしに表明され、増幅されているわけです。同時に私は、政府に異を唱えるものに、目に見えない制裁が加えられるのを恐れて、日本のメディア組織が自己検閲をしているという不吉な報告を耳にしています。民主党の低迷、野党陣営の弱体化によって、日本の国内・対外政策について、既存のものに替わるものを真剣に議論することが難しくなっていることも、懸念材料です。
新外交イニシアティブが、日米双方においてこのような状況を正す貢献をすることを、私は希望しています。政策に関与するための従来のものに替わるチャンネルを日米の市民の間に提供し、またアジア太平洋地域およびさらに広い地域の喫緊の課題に、創造的な解決を促していくことで、そのような貢献が可能になります。NDはまだ新しく、資源も限られた組織ですが、沖縄・アジア太平洋地域における米海兵隊の駐留・展開という問題に取り組み、日本と近隣アジア諸国との間の歴史問題についての和解という課題を取り上げ、また、地震多発国・日本での原子力推進政策に疑問を呈することで、すでに大きな貢献をしています。
※この文章は、NDのマイク・モチヅキ評議員(ジョージ・ワシントン大学教授)が、猿田佐世ND代表の単著『新しい日米外交を切り拓く 沖縄・安保・原発・TPP、多様な声をワシントンへ』の出版にあたって書き下ろしたものです。