6月18日に行った訪米報告会の映像はこちらよりご覧いただけます
稲嶺進名護市長が、5月15~24日の日程で米国ニューヨークおよびワシントンを訪問し、普天間基地の辺野古移設反対を広く米国の人々に訴えた。NDは、この行程の企画・同行を担当。以下、沖縄タイムスに2014年6月5日~7日に3度にわたって連載されたND事務局長猿田の本訪米を振り返る論考を掲載する。
今回の訪米行動に向けては、4カ月近い準備をしてきた。多くの方の協力を得て、米政府、連邦議会、シンクタンク関係者との面談、また、議会調査局やブルッキングス研究所におけるグループ討論など、計48件の行程を設定。特に今回は「一般市民へ思いを伝えたい」との市長の希望を受け、13件のメディア個別取材および4件の一般公開の講演の機会を設定した。
国務省・国防総省のカウンターパートがワシントン不在だったために政府面談が国務省日本副部長に限られてしまったが、250人以上と直接意見交換する機会を持ち、また、ニューヨーク・タイムズ、ブルームバーグなど多くのメディアが詳細な記事を掲載したことは大きな成果であった。
多くの米国の人々は、沖縄の基地問題に関心がない。政策決定権者の集まるワシントンにも沖縄の声が届くことは少なく、今回のような訪問は「こういう声が存在することを私たちに思い出させる」(リチャード・ブッシュ・ブルッキングス研究所東アジア政策研究センターディレクター)機会として大変重要である。
「もう沖縄からの訪問者には会いたくない。どれだけアドバイスをしても、いかに米国社会に訴えるかではなく、沖縄でどう報道されるかを考えての訪米ばかりだ」。3年前、辺野古移設に反対するスティーブ・クレモンズ氏(ザ・アトランティック編集者)からこう直言された。
確かに、沖縄での報道も重要であるが、せっかくの訪米である。限られた条件の中でいかに効果的に米国に声を伝えるか、それを実践するのがNDの任務である。
この5年間、私は、ワシントンでロビーイングを行い、沖縄選出を含む日本の国会議員等の訪米活動をサポートしてきた。2年前まで住んでいたワシントンでは、日米外交を垣間見る機会を得たが、普天間基地の県外移設を求める首相の声すら既存の外交チャンネルには届いていなかった。「外交チャンネルがあまりに限られている」との思いに駆られていたところ、沖縄の知人から「なぜ沖縄の声は米国に届かないのか、何か動いてくれないか」と声がかかり、ウチナー3世の夫に背中を押され、ワシントンでの活動を始めた。政治・外交の各テーマについて、国境を越えた情報収集、情報発信、政策提言を行うシンクタンク「新外交イニシアティブ」を昨年8月に立ちあげ、現在に至っている。名護市はNDの団体会員である。
訪米コーディネートでは、講演などの企画や面談依頼先をまず検討する。日米の多くの人々とのやりとりの中で新たなアイデアが生まれ、多くの協力を得ながら実行に移していく。
今回の多数の現地メディアの取材は多くの友人の紹介で実現した。シンクタンクでの講演やラウンドテーブル(円卓会議)もその協力なしには行えなかったし、市民対象の講演会の開催には多くのボランティアが協力の手を挙げてくださった。この広がりだけでも訪米の意義があると実感する。
ワシントンで日米関係に影響力を与えうる人々は、大きく分けて三層ある。国務省を代表とする米政府、シンクタンク等の研究員、連邦議会関係者である。
シンクタンクは元政府関係者や日本専門家からなり、報告書の発表や政権担当者との人間関係、自らの政権入りなどを通じて米政府の政策に直接・間接の影響を及ぼす。議会関係者の多くは日本の問題にほとんど関心がないが、場合によって予算などを通じて強い影響力を持つ。
面談はこの三層の人々を中心に行うが、特に連邦議会については、あまり関心を持っていない層に働き掛けることになるため、メールや電話はもちろんであるが、持てるネットワークを駆使しながら各方面から接触し、またオフィスを直接訪れて訪米日程の最後の瞬間までアポ入れに尽力する。米政府・議会には世界中からのアプローチがあり、一議員であっても容易にアポが入る状況にはない。これは、沖縄に限ったことではなく、多くの日本の国会議員の訪米でも同様である。
さらに今回は、2年前の前回の市長訪米とは異なる事情もあった(前回も当方でコーディネートを担当)。現在、米関係者の間では安倍政権のナショナリスト的外交政策、尖閣・歴史問題、そして直近では集団的自衛権の行使の問題に関心が集まり「沖縄の基地問題に触れようとする人はほとんどいない」との発言すら耳にする状況であった。何ら事態は解決していないにもかかわらず、関心が薄れている状況に憤りを覚えるが、合わせて継続的な働きかけの重要性を痛感する。
実際に、米国の「知日派」には、辺野古移設に慎重な姿勢を示す有力者も少なくない。今回、名護市長が面談したジェームズ・ジョーンズ元大佐(元大統領補佐官)やジム・ウェブ元上院議員は辺野古案反対の意を改めて述べていたし、今回不在で面談はかなわなかったが、日本の保守派がその影響力を求めて頼りにするリチャード・アーミテージ元国務副長官も現行案以外の検討を求めている。継続的働きかけを怠らず、これらの声をさらに広げて、日米両政府の中の柔軟な立場を耕していくプロセスが必要になろう。
ワシントンへの訴えは継続的に行う必要がある。議員は入れ替わり、もともと関心がない人々も少なくないため、すぐ忘れられてしまう。沖縄の国会議員や首長の訪米は、象徴として大きな意味を持つが、1度の訪米では面談数にも議論の深まりにも限界があるため、ワシントンに根差した継続的働き掛けが必要である。議会の動向や米国の政策の変化について関連事項をあぶりだしながら、その時々に働きかけ方を判断する必要がある。法案や予算の詳細な検討も必要であろう。
メディアなどでは面談した相手の地位が注目されるが、働き掛けるべき相手は多い。議会に限っても、軍事・歳出・外交の各委員会のメンバーもさることながら、所属委員会にかかわらず環境や人権の視点から共闘できる議員の存在が重要になる。
今回の訪米では、議会戦略を冷静に練る視点が手薄になってしまったことは反省点だ。補佐官レベルも含めて興味関心の合う相手をみつけ共に活動する必要がある。
また、相手と同じ「言語」で話す必要がある。ワシントンでは軍事戦略的視点で議論が展開し、ヒューマンストーリーや具体的戦略を伴わない平和指向は軽視される傾向にある。海兵隊の沖縄駐留が抑止力維持の観点から必要かという議論は避けて通れない。
他方、米国の歴史が人々の喜びや悲しみで動いてきたことも忘れてはならない。思いに共感した一般の人々が協力してくれることも多い。場を見定め、言葉を選ばねばならない。
そして、何よりも、沖縄の声を真に代弁する人がワシントンに常駐し、人間関係をつくりながら適切な働き掛けを継続的に行う必要がある。
なお、多くの米国人が、日本政府さえ「辺野古案は駄目だ。」と主張すれば米国は受け入れる、と話す。ジョーンズ元大佐が「日本政府が変わらねばならない」と言ったように、日本国内の対策は当然ながらより重要である。
しかし、それを前提にしながらも、ワシントンからの影響力を得ながら日本政府の政策に変化を与えることは有用だろう。集団的自衛権行使の問題でも、多くの政治家がワシントンに渡り、米「知日派」からお墨付きを得ようと躍起になっている。それは日本で大きく報道され日本政府の政策に影響を与える。彼らばかりにワシントンの「拡声器効果」を利用させてはならない。